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2009年11月 1日 (日)

父のこと2

「父のこと」Part2です。

今回も長いです。

でも、4年経ったいま、

なにか形にして残しておきたかったのです。

書き手の我が儘です。

もし読んであげてもいいよ、と言う方が

いらっしゃいましたら、

↓こちらを御願いします。

1.最後の入院

 先の手術から5年、父が79歳になった平成19年。
 たしか9月3日(土)に、姪(父の孫)の結婚式がありました。
 何ヶ月も前から洋服を揃え、鞄を買い、
 この日を楽しみにしていた母が体調不良のため、
 どうしても出席できなくなりました。

 思えば、このとき父はすでに肺炎を起こしていて、
 とても立っていられる状態ではなかっただろうと思います。
 それでも、一言もそんなことは言わず、
 出席できない母の代わりに孫の晴れ姿をその目におさめました。

 さすがに式の途中で退席せざるを得ませんでしたが、
「○○子の花嫁姿を見るまでは」と頑張ったのでしょう。
 それがなければ、おそらく父の生命は数ヶ月早く、
 幕を閉じていたと思います。

 その後、父は不調を訴え、7日(木)に病院に行きました。
 診断は肺炎、即入院。
 病院までタクシーで行き、
 病院のなかは一応車椅子を使っていたのですが
 看護師さんに「歩いてきはったん?!」と驚かれました。
 家族に迷惑をかけるまい、と必死に我慢していたのでしょう。

02

2.主治医の話

 入院後、しばらくは
 病院食や家族の持って行ったお握りを食べたりしていましたが、
 肺の状態が悪く、絶飲食に。

 私はテニスの大先輩の助言を守り、
 朝晩、とりあえず顔だけは見せるようにしました。
 昼間は体調が回復しきらない母に代わって、
 母の姉妹や私の姉が交替でついていてくれました。
 主人も休みの日は車でばぁばを送ったりと、
 いろいろと手を貸してくれました。

 そして、9/12(月)夜8時、会社帰りに病院に寄った私に
 主治医の先生からお話がありました。
 私のショックを思いやって、叔母二人が遅くまで病院に残り、
 そばについていてくれました。
 おそらくもう父の回復は見込めず、帰宅は難しいだろうと言われました。

 そのときに思ったことは、
 大きな手術を2度も受けながら、
 最後まで大好きなテニスやお酒を楽しみ、
 二人の可愛い孫にも恵まれ、
 たくさんの人にお見舞いに来てもらい、
 幸せな約80年の人生だっただろう、と。

 ただ、私は2度目の手術後の錯乱がトラウマになり、
 なんとしても父は父の人格のままで旅立たせたい、
 そして、母にはきちんと父との別れを受け入れさせたい、
 それだけを願いました。

3.楽しかった入院

 我が家の「伝統」でしょうか、
 だれかが入院すると「付き添い日記」というものを書きます。
 その日の父の様子など、みんなが細々と残していてくれて、
 いまも当時のことが鮮やかに記憶に甦ります。
 担当の若い看護師さんも丁寧な可愛らしい字で、
 いろいろとコメントを残してくれました。

03

(↑若い担当看護師さんの書き込み)

 父は次第に声が出なくなり、
 伝えたいことはたくさんあるだろうに、
 ほとんど聞き取ることができなくなりました。
 苦しそうに寝ている時間も多くなり、
「付き添い日記」には、
 親身に世話をしてくれる看護師さんへの感謝が綴られるほか、
せっかく来たのに寝てばっかり」とか
帰ろうと思ったら目を覚まして帰りづらい」とか
一生懸命喋ってくれるのにわかってあげられない」とか
 そんな文章が続きます。

「付き添い日記」の私の文章から一部抜粋。

朝、会社に行くとき「早う行き!」と言いながら、
 右手で私の手を握りしめ、左手でバイバイしてくれます。
 行くに行かれへん……
 なんでか、会社にいくときだけは、
 どれほど朦朧としていても手を振って送り出してくれます。
 ちょっとウルっとくる瞬間です。」

 そんななかでも、父は思いやりとユーモアを忘れませんでした。
すまんな」とか「疲れたやろ」とか
「○子(母)に無理させんように」とか
「○ちゃん(モンパパ)に不自由かけるな」とか
 声が出るときには、そんなことばっかり言ってました。

 そして、大好きな甥(私の従弟)が見舞いに来てくれたときには
小遣いくれるんか」とみんなを笑わせました。

 長くなりますが、もう一つ抜粋、
 10月4日、亡くなる一ヶ月前の朝、出勤前に顔を出したときのことです。

朝からひとしきり(父と二人で)大騒ぎ。
 何か言ってるんだけど、どうしても聞きとれない。
 今日に限って諦めないで、何度も何度も伝えようとする。
 10分ほど汗かいてすったもんだした挙げ句、
 ……ひょっとして「
朝日新聞?!」

 父さんを見ると両手でパチパチ拍手してました。
よく出来ました!」ってなもの。
 ほんとに、この人はもう!」

 家族、親戚に支えられ、励まされ、
 父の症状はじりじりと良くない方に向かいながらも、
 笑い声のたえない楽しい看病生活となりました。

4.最後の日々、人には言えない思い

 主治医の先生の肺炎が改善する希望を捨てたくない、との意見から
 絶飲食をつづけていましたが、
 たぶん10月の後半でしょうか、姉と私で決断しました。
もういいです、食べたいもの、呑みたいものを
 悔いがないように食べさせます
」と。

 でも、そのときすでに父の体力は残っておらず、
 もっと早く決断をすべきだったと、いまも悔いが残ります。
 ただ、お茶やゼリーなど少しは食べてもらうことができました。

 10月になり、病院から言われて個室に移りました。
 事情はいろいろあったのですが、たぶん父の周りが
 いつも賑やかだったことも理由の一つかもしれません。
 なかには身寄りのない方々もいらっしゃいましたから。

 私が仕事帰りに病院に寄るのは早くて8:00過ぎ、
 面会時間が過ぎてからで、
 ほかの患者さんに気兼ねしながら病室を覗いていました。
 けれど、個室になってからは、携帯も使えるし、
 時間も気にしなくていいしで、随分楽になりました。

 ただ、そうなると1日、万単位で差額ベッド料がかかります。
 母は「お正月にはお父さん、一時退院できるかなあ」と
 楽しみにしていましたが、
 私としては、いったいいくらかかるんだろう、と途方に暮れていました。
 決して早い父の死を望んだわけではありませんが、
 それが正直な、だれにも言えない気持ちでした。

 ある日、病室でわたしと二人きりのとき
 父が点滴を目で指して、なにか訴えました。
 たぶん「死なせて」と言ったのだろうと思います。
 その前から父は個室の費用のことを気にしていましたし、
 私はまるで気持ちを見透かされたような思いになりました。
 けれど、直後に母の胆石の手術が決まっていました。
 母の手術と父の葬儀が重なっては、乗り切る自信がありません。

ごめんな、わかってるよ、しんどいな。
 でも、お母さんももうすぐ手術やし、
 お願い、もうちょっと頑張ってな、ごめんな

 ひどい話ですが、そう言うしかありませんでした。

 父の状況をまだ100%は受け止められない母のために、
 1日でも長く、と懸命に介護してくださる
 看護師さんや主治医の先生にも治療を止めてくれとは、
 どうしても言えませんでした。

 その後、父は二度とそれを口にすることはありませんでした。

 日ましに父の容態は悪くなり、病室に向かうのが辛くなります。
 けれど、原付きを病院の駐車場にとめ、エレベータに乗り、
 廊下を歩くあいだ、
 自分のほっぺたをパシパシ叩き、口角を上げて、
 一生懸命笑顔を作って、病室に入りました。
 毎日、これだけは守れたと思います。

 母が手術を終え、退院し、少し落ち着いくのを待っていたように、
 母の手術の1週間後、2005年11月4日、父は旅立ちました。
 看護師さんが「まだ早いかもしれませんけれど」と
 会社に連絡をくださったおかげで、そばにいることができました。
 母もモンパパもchaki姉も義兄も、叔父も叔母も
 そばにいました。
 看護師さんたちは母をしっかり抱いて、
 一緒に泣いてくれました。
 本当に、何度感謝してもたりません。

 父の生存中、私は決して親孝行な娘ではありませんでした。
 大好きだった分、父の老いをありのままに受け入れられず、
 つっけんどんな態度を取り、
 それでまた、自己嫌悪に陥る日々でした。
 でも、それも一緒に住んでいるからの後悔だったと思います。

01

(↑思い出がいっぱいの「付き添い日記」)

 同居を受け入れてくれたモンパパ、
 ほがらかで話し好き、心の芯の温かい姉、
好きなだけ(お義父さんの)そばにいたらええ」と姉に言ってくれた義兄、
 叔父叔母、従兄弟、甥っ子、姪っ子、友人、
 数え切れない人々のおかげで、
 父を無事に送り出すことができました。
 ありがとう、
 いまあの頃をふり返ると、後悔、懺悔、感謝、
 いろいろな思いでまた胸がいっぱいになります。

 最後まで読んでくださった方、

 本当にありがとうございます。

 これを書いて、ようやく一区切りつく、

 という気持ちがありました。

 掲載してよいものかどうか、いまも迷いがありますが、

 あとで「えいっ」と更新しようと思います。

 もしこの記事のために不愉快な思いをされた方が

 いらっしゃったら、ごめんなさい。

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父のこと2を参照しているブログ:

コメント

☆ロデムの母さん
 呑むな~~~~(笑)!!

 でも、そんなふうに言われると、
 やっぱりキレイごと過ぎたかなってちょっと反省。
 私はダメな人間ですよ。
 ただ、本当に自慢の父でした。
 そして、姉がいなかったら、いろんなことを乗り越えられなかっただろうな、と思います。
 いろいろと伝えきれない思いもありますが、
 だれもが通らねばならない道、
 末っ子で甘えで、ダメダメな私のことを
 なにかの形で残しておきたいと思ったんですよ。
 長い記事を丁寧に読んでくれて、
 本当にありがとう。

遅くなってしまいました・・・。

涙が出ました。
素敵なお父様だったのですね。
そしてお父様の事をそこまで考えられる御姉妹、頭が下がります。

ごめんなさい、うまい言葉が見つからず、ただただ素敵な御家族だなぁとしか・・・

お互いに辛かったはずなのにお互いを思いあってる様子が・・・
もう、ダメだぁ・・・今夜は1人で泣かせてくださいませ・・・
(1人で飲むので♪)
素敵だなぁと思っていたchakiさん、今までよりもっともっと素敵で大好きです。

このようなモモにはなんの関係もない、自己満足な記事に
たくさんの温かいコメントをありがとうございます。
まだまだキレイ事で済ませているところもあり、
掲載するかどうか、本当に迷いましたが、
四度目の命日を迎えるにあたって、一つの区切りと思って
モンタンブログを借りました。

☆さりぃ・ふれあ・ちっぽのままさん
 ありがとうございます。
 本当に家族親戚に看取られての最期、
 羨ましいほど父は幸せだったと思います。
 それでも娘としては、
 父の気持ちより自分の気持ちを優先させてしまったことに、
 悔いても悔いきれない思いが残ります。
 それはそれとして、おっしゃるとおり、
 元気で優しかった父のことを思いだして、
 ずっと一緒に生きていかないといけませんね。

☆インディママさん
 そうですよね、家族の旅立ちには、
 みなさんそれぞれに色々な思いを抱えておられますよね。
 何ヶ月ならいい、ということはないのでしょうけれど、
 1ヶ月は早すぎます。
 残された方々はその辛い事実を受け入れるのが
 どれほど大変だったか、とお察しいたします。
 2ヶ月間、父との濃密な時間を過ごせたことは
 本当に幸せだったと思っています。
 付き添い日記、残しておいて、
 とても良い思い出になりました。

☆ココママさん
 本当に、ココママさんたちのおかげで、
 父の晩年はどれほど華やいだものになったでしょうか。
 娘の私が面倒がってろくに話もしないときに、
 ココママさんたちが「お父さん、お父さん」と
 温かく接してくださり、
 家族のために夕食を差し入れしてくださり、
 本当に感謝の言葉もありません。

 テニスではいぢわるなじいさんだったけれど、
 いっぱい一緒に思い出を作りましたね。
 父はだれよりココママさんが大好きでしたから、
 たくさんたくさん感謝しながら旅だったと思います。

☆pollonmamaさん
 ありがとうございます。
 はい、父のことは大好きでした……
 だからこそ、父のありのままを受け入れられなかった自分を
 情けなく思います。
 看護師さんたちは本当に最後の最後まで、
 細やかで温かい看護をつづけてくださいましたが、
 ときとしてそれはマニュアル通りであって、
 家族の思いとはすれ違うこともありました。
 付き添い日記のなかの私の言葉に

「最善なんてないんだね。あれば迷わず、それを選ぶ。でも、私たちはその場その場で『最善と思うこと』を選んでいくしかないんだね」

 というのがありました。まさにpollonmamaさんのおっしゃる通りの言葉で驚きました。本当にいろんなことをよくおわかりです……
 記事ではキレイごとを書いていますが、
 本当に冷たい娘で、内心はもっとドロドロしていましたよsweat01

☆ダイスケさん
 ありがとうございます。
 肉親との別れは、哀しいだけではなく、
 いろいろな思いが交錯してしまいますね。
 自分でもどうしても許せない気持ちをもってしまい、
 それがずっと心に引っかかっています。
 立派に家族を見送られた方々を見ると、
 ほんと、ダメだなあ、って落ち込んでしまうんですよ。
 でも、きっとだれもが様様な思いを抱えながら、
 乗り越えて行かれるのでしょうね。
 だれもが通る道、しっかりしないとダメですねー!

☆シリウスママさん
 本当に辛かったのは、2度目の入院の錯乱のときでした。
 最後の入院は、母の体調が悪かったこともあり、
 父と、そして姉と、とても濃密な時間を過ごせました。
 姉と私に母を託していかねばならない父の気持ちが
 痛いほど伝わってきました。

 私はなにもできないままでしたが、
 家族、親戚、友人のおかげで賑やかな入院生活、
 賑やかなお通夜、葬儀となりました。
 本当に父は幸せでしたね。

 親にすれば、子どもが元気に暮らしているのがいちばん、と
 よく聞きます。
 きっと、シリウスママさんが笑顔で楽しく日々を過ごしておられるのが、なによりの親孝行だと思いますよ!
 ……って人には言えるんですけどねー(笑)
 

思い出すのですら辛い事もあったでしょうね・・・
闘病生活はご本人もご家族も大変なことが多いと思いますが、
それでも、言わせてくださいね。
お父様は素敵な旅立ちをされたと心から思います。

同じ様な立場になった時、私はchakiさんのように出来るかどうか自信がありません。
きっとchakiさん以上に普段は親不孝な娘なのではないかと思います。
好きなのに何だか照れてしまって今一つ優しい娘になれないのですが、
お父様とほぼ同い年の父を大事にしようと改めて思いました。

心に残るお話、ありがとうございました。

モンママさんお疲れさまでした!
お父様との想い出は、まだ浅いですよね?
まだ鮮明に心に残っていらっしゃるでしょう・・・ね!
11月4日がご命日!ご冥福お祈り申し上げます(ーー;)

モンママさんの日記を見て・・・
父を思い出しています。胃癌で亡くなって20年経ちます
母は糖尿病で亡くなり15年経ちました!
普段お仕事してますとすっかり忘れてますが毎年7月になると、必ず夢に出てきます!(これだけは不思議です?)
田舎が遠いので毎年行けないのが少し残念です・・・。
でもいつも感謝しているんですよ!

どんなにお父様がお好きだったのか、ひしひしと伝わって参りました。
若輩者の私が言うのも失礼ですが、chakiさんは十分に親孝行な娘さんですよ。

家族の闘病は、勉強し知識を得ながら戦い、追い詰められた状況で判断を強いられますが、後悔することもありますが、どれも最善を尽くした結果だと思います。
確かに、病院側は人の命を一時預かりますが、ビジネスなんですね。
最近の医学・看護の学生に対して、患者と家族にどのように看取らせて別れを受け入れさせるのか、という教育はまだ日が浅いと聞いています。

読ませていただいて、chakiさんご家族の絆がとても深く強いことを感じました。とても素敵なことですね。


入院時の麻酔の錯乱 うちにもありました
どうして軍隊の頃に戻るんでしょうね
同じく攻めてくると言ってました
もうもとには戻らないと思いが・・・

お父さんにはテニス教えて貰ったり 絵を描いてもらったり
思い出は多々あります
そして・・・よく年を聞かれました
「○才ですよ」というと
「はっきり年齢言えるということは若いってことやな」と
年齢はぐらかすとようになると おばさんらしいですわ
でも答えた年齢も相当あばさんだと思うんですけどね

そして心底犬好きだってことも認めてくださいました
その理由 飼ってた犬が雑種だったからだそうです

テニス初めてシングルスの相手してもらってこてんぱんにやられて
へとへとになって・・・・最後に「サーブ打つときの場所間違ってる」
初めてなんだからそれくらい教えてくださいよ
知らず わからず コート走り回った後の一言
それをバネ?としてがんばれたのかな

ほんと次から次へと思い出します
書いてると ブログと同じくらい長くなりますのでこのへんで・・・
とっても近くに居させてもらえたんだと感謝です

chakiさん、辛い思いでですね。
私の母は、具合の悪いことを我慢して我慢して
夜中我慢しきれず、救急車で病院にいきました。
多分明け方くらいだったでしょうか。
診断は末期がん、もう手術もできず余命3カ月。
そんな母が旅立ったのは1カ月後、あっという間でした。
病院からは解剖を進められました。
転移していてもとの病巣が分からなくて。
父は傷を付けたくないと解剖は断りました。
私は母に何もしてあげられませんでした。お見舞いも少なく話も聞いてあげられなく・・・
ほんとうに親不孝な娘です。
chakiさんは私に比べればどれだけ、お父様と一緒に過ごせたか・・・。
家も日誌付けておけばよかったです。
病院に対する感情分かります、やり場のない思い
みんなそれぞれありますよ。

遅いですが コメント入れさせていただきます
一生懸命 がんばられたんですね

きっと お父様は 満足して 旅立たれたんだと思いますよ
みんなに看取ってもらうと 言うのは 出来そうでできませんから

お父様が暴れられたとき とってもショックだったと思います

本当に 戻られてよかったですね
血のつながりがあるだけで 受け入れられないものは
あると思います 

それを乗り越えられたこと 頭が下がります
よく 我慢されましたね

後悔 は もうやめて お父様の元気だったときを 思い出して挙げてください

本当に愛されていたのが とってもわかりました
お父様の思い出を ありがとうございました

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