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2009年11月 1日 (日)

父のこと1

2005年11月4日に亡くなった父のことを、

少しずつ書きためていました。

ここに載せるのはふさわしくないかもしれません。

とても個人的なことです。

そして、とても長いです。

それでも、もしよろしければ、

↓こちらをご覧くださいね。

0.最初にお断り

 もう10年近くも前のことなのに、怒りが心にくすぶったままです。
 なので、当直医に対する恨みが炸裂している箇所がありますが、
 誤解のないように最初にお断りしておきます。

 父は同じ病院で最後まで、それこそ親身に看取っていただきました。

 亡くなったとき、看護チームのリーダーの看護師さんは
 母を抱きしめて一緒に泣いてくれました。
 担当看護師さんは非番だったにも関わらず、
 訃報を聞いて駆けつけ、母の手を握って涙を流してくれました。
 私はその場にいませんでしたが、
 病院から帰宅する父を、主治医や看護チームのみなさんが
 目を真っ赤にして送り出してくださったそうです。

 2ヶ月間、父の心に沿い、家族の心のケアまで労を惜しまず
 手を貸してくれた主治医や看護師のみなさんへの感謝は
 4年たった今も、ほんの少しも変わることはありません。

1.先輩の忠告

 じぃじは80歳目前、2005年11月4日に肺炎で亡くなりました。
 70歳のとき、大腸癌の手術を受け、ストーマ(人工肛門)になりました。
 最初はそれはそれは辛かったようですが、
 周りに助けられて、元気にテニスに復活し、
 合宿旅行に行くほどまでに回復しました。
 先日ご紹介したこの写真は、手術後テニスに復帰したころのものです。

02

 当時、なにもできることがないと落ち込む私に、
 テニスの大先輩の女性が「そんなん、あたりまえや」と言いました。
とりあえず毎日病室に顔を出すこと。あんたができるのはそれだけや

 その後、父は二度の入院をしましたが、
 私は先輩の言葉を守り、不可能なとき以外は必ず父の顔を見にいきました。
 遠くてなかなか家族のお見舞いにも行けない方がいるなか、
 同居していたおかげで病院が近く、
 先輩の言葉を最後まで守れたことは、本当に幸運だったと思っています。

2.二度目の入院で

 最初の手術から5年後、じぃじ75歳のときに、
 小さな食道癌が見つかりました。
 テニスで鍛えてもいましたし、ごく初期の癌ということで、
 食道と胃の一部を切除する手術を受けることになりました。
 手術は無事に終わりましたが、しばらくは絶飲食です。

 戦争の飢餓を体験した父には、この絶飲食がよほどこたえるらしく、
 点滴で栄養は摂れていると、いくら言っても不安がります。
まだ水も飲んだらあかんのか? おかゆでもあかんのか?」
 と、しつこいほど訊かれました。

 手術後2,3日して、仕事帰りに病室に寄ったときのこと。
 父の様子が変でした。
 うつろな目で空中に手を伸ばし、
 なにかをつかんで口元に持っていき、口をもぐもぐさせます。

お父さん? お父さん、どうしたん?」

 声をかけると、はっとしたように手を下ろし

いえ! 私は結構です。食べ物はいただけません。
 K先生(主治医)から絶食を命じられておりますから
!」

 軍隊口調で言い、しばらくするとまた空中に手を伸ばします。
 延々これのくり返しです。
 足が震えるほど異様な光景でした。

 病院は完全看護なので、見舞いは夜8:00まで。
 明らかに異常な父の様子に、夜11:00頃まで病院に残っていましたが、
 さすがにそれ以上、残るには病院の許可が必要です。
 見回りに来た看護師さんに
様子がおかしいんですけれど、帰って大丈夫でしょうか」と尋ねたら、
 こたえは「さあ?」でした。

「さあ?」って、あなた……

 でも、病院から付き添ってくださいと言われないかぎりは帰らねばなりません。
 私もお腹が空いていましたし、後ろ髪引かれながら、
 ともかく11時頃に帰宅しました。

2.夜中の呼び出し

 自宅で食事をして、お風呂に入って、でも、なんだか嫌な予感がするので、
 枕元に電話の子機を置いて、さあ寝ようとした深夜1時過ぎ、
 やはり電話が鳴りました。

「○○さん(父)が暴れて、困っています。すぐ来てください」

 3月だったか4月だったか、雨の降る夜でした。
 寒さに震え、不安に震え、
 原付きバイクで1キロ少しの距離を病院まで走りました。

 父は看護婦詰め所にいました。
 車椅子に縛りつけられて。
 まるで見知らぬ、怖ろしい形相のおじいさんになって。
 私の顔を見ると「こいつら、みんなでわたしを殺す気や!」と叫びました。

 若い頃の父は気むずかしく、扱いづらい人でした。
 正直、いなくなればいいのに、と子供心に何度思ったかしれません。
 けれど、孫ができてからは、本来の優しさが前に出て、
 だれからも慕われる公平で穏やかな人になりました。

 その父が人格まで変わってしまって、
 車椅子に縛りつけられている――
 この人はいったいだれだろう。これは私の父じゃない。
 あまりの衝撃に、なにがなんだかわかりませんでした。

 当直医の先生がそばにいらしたので
どうしてこんなことになったのでしょう
 と尋ねました。

夜中に点滴を引き抜いて、暴れだしたんです
 うんざりしたようなため息。
 父の腕は無理やり点滴を抜いたために血で汚れ、
 カテーテルも外れて、病衣の前が濡れています。

困るんですよねえ、こういうことされると。
 術後ですから、命にもかかわりますし

 ……
 ……
 はあ? 困るのはこっちですが?

原因はなんでしょうか。麻酔の後遺症でしょうか

 当直医は私の顔も見ず、不機嫌そうにこたえました。
まあ、お年もお年ですし、こういうことはままありますがね
 ……
 ……
 はあ?×2

 いまになればわかる。
 当直医は、呼び出された私が父の姿を見て
ご迷惑をおかけして申し訳ございません
 と平身低頭するのを期待してたんだ。

 でも、術前の説明ではそんな危険があるとはまったく聞いてないし、
 聞いていれば、手術するか否かをもっと考えました。
 そもそも、よくあることなら対処の仕方もあるでしょう?
 それがあなた方の、病院の仕事ではないんですか、
 とまでは言わないものの、
 自分たちではどうにもならないことで
 なぜ、父や私が責められることがありますか。

 言いたい言葉をぐっと呑みこみ、
元の父にもどりますか」とだけ訊きました。

さあ? もどることもあれば、もどらないこともあるんじゃないですか

 なんだぁ、この医者?
 この人の胸ぐらをつかんで、
優しかった父を返せ!」と殴ってもいいですか。

 私が動転していて、気が立っていたのは認めます。
 病院にとって父が多くの患者の一人に過ぎないことも。

 けれど、私にとってはただ一人の大切な「父親」です。
 ふてくされた当直医のこの態度だけは
 一生許せない。一生忘れない、と思います。

3.その夜、涙した……

また暴れると大変なんで、ご家族が付き添ってください
 そう言われて、父は詰め所の横の病室に寝かされました。
 点滴やカテーテルをつないだままなのに、
 興奮した父はすぐに起き上がって、
あいつらに殺される」とうわごとを言い、逃げだそうとします。

お願い、じっと寝てて」と押さえつける私に
おまえまでわたしを殺す気か!」と怒鳴り、
 力の入らない手で、私をぽかぽかと殴りました。

 父に殴られたのは、生まれてはじめてのことです
(子どものときにお尻を叩かれたことは1、2度ありましたが)。

 悔しくて、心細くて、情けなくて、
 そして哀しくて、泣きました。
 入院している父の前で泣いたのは、このときかぎりです。

 その夜は、看護師さんたちがモニターで監視していて、
 父があまり暴れるとさっと鎮静剤の注射をし、
 黙って去っていきます。
 変わり果てた父の姿にぼう然とし、
 これからのことを考えて途方に暮れる私に、
 一言の言葉もありません。

 忙しいなか、父が当直医や看護師さんに
 迷惑をかけたのはわかります。
 だから、特別に親切にしてほしいとは思いません。
 ただ「心配ですね」とか「きっと大丈夫」とか
 あのとき一言かけてもらっていたら、
 どんなに気分が楽になったか、と思わずにいられません。
 いかにも迷惑そうに注射だけして目も合わさないのは、
 私が当直医にたてついたからですか、と
 勘ぐりたくなりました。

4.そして……

 それからは昼間は母と姉が付き添い、夜は私が付き添いました。
 夜だったこともありますが、やっぱり父が暴れようとすると、
 看護師さんはさっと来て、眠剤を注射し、
これでしばらく大人しくなりますから」と言い残して、
 去っていきます。

 父はものじゃないんです、
 75年まっとうに生きてきた、
 本当はだれより優しくて穏やかな人間なんです!
 そんなに眠剤ばかり注射して錯乱がひどくなりませんか?

 叫びたくても、やはり目も合わせてもらえません。

 もしこのままの状態がつづけば、とても家では見られない。
 適切な施設を紹介してもらえるんだろうか。
 これを医療過誤で訴えることはできるんだろうか。
 他人のようなこの老人を、父と思えるのだろうか。
 そんなことばかり考えていました。

 記憶は定かではないのですが、異常がはじまったのがたしか金曜日の夜、
 錯乱は相変わらず激しいものの、夜は少し暴れなくなったため、
 水曜の夜は私も自宅で寝たのだろうと思います。

 木曜の朝、出勤前に病室によると、
 父の様子が違っていました。
 顔から険のある表情が消え、見覚えのある優しい笑顔で

おはよう、ご苦労さん

 と言ってくれました。
 半ば諦めていたけれど、「私たちの父」がもどってきてくれた瞬間でした。
 すぐに母と姉に「お父さんや、ほんまのお父さんがいる!」と電話しました。

 世の中にはきっと、父のように錯乱してしまったご家族を、
 何年も看護しつづけている方々がいらっしゃる。
 それを思えば、手放しで喜ぶのはあまりに身勝手かもしれません。

 それでも!
 何十年ぶりかに、天を仰いで神に感謝せずにいられませんでした。

お父さん、昨日までお医者さんや看護師さんに殺されるて暴れてたんやで
へええ
 父はくすくす笑っていました。

笑うけど、ほんま、大変やったんやから
そうかぁ」くすくすくす……

 当直医だけでなく、一時は手術を薦めた主治医まで憎みましたが、
 傍目にもわかるほど浮き浮きした足取りで病室にやってきて
もう大丈夫ですね、いやぁ、良かった良かった」と
 手放しで喜ぶ主治医を見て、恨みも失せました。

 その後、父は順調に回復し、
 胃の上部を切除したために元通りとは行きませんでしたが、
 一生懸命、家族のために頑張ってくれました。
 そのお話はまた、次回に。
 長々と、本当に長々と最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
 書いたことに対して、いろいろ批判やご意見があるのは覚悟の上で、
 あえてすべてを書きました。

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