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先代ランの思い出 Feed

2009年9月12日 (土)

雨の日はラン♪

こんにちは、モモの飼い主chaki(モン母)です。

今日は朝からず~~~っと雨です。

……

……

はい、モモの写真が撮れません。

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なので、今日は何枚か先代ランの写真を

ご紹介したいと思います。

はい、「雨の日のラン♪」とはドッグランではなく

先代ランのことなのでしたhappy01

01

スキャナが使えないため、

画像はよくありませんが、

よろしければ、つづきは↓こちらを見てね。

続きを読む »

2007年8月25日 (土)

先代ラン一周忌

先代ゴールデンのランが虹の橋に旅立って一年。
「NO」と言われるのが怖くて聞けなかったことが一つ。

我が家で暮らして、幸せでしたか。
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けれど、犬に「もしも」はありません。
わが身をほかと比べることもありません。
ただそこに与えられた暮らしを生きるだけ。
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だから、私たちが伝えたい言葉も一つ。

我が家に来てくれてありがとう。
たくさんの笑顔をありがとう。
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ぐうたらな飼い主はろくな躾もしなかったけれど、とてもとても利口な犬でした。

食卓の上のものを取ってはだめ。
花壇に入ってはだめ。
人に飛びついてはだめ。

家族のだれもしつこく教えた記憶はありません。
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帰宅したとき散歩に出ているだけで火が消えたような気がして、門の前でもどってくるのを待ちました。
ランは私を見つけると、重い身体をたぷたぷ揺らして駆けよってきました。

年に一度だけ、旦那さんと花火に出かけて、夜10時過ぎまで帰ってこない日がありました。
ランは川で泳いで、みんなに可愛がってもらってご機嫌でした。
でも私は寂しくて寂しくて、何度も外まで車の音をたしかめにいきました。
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それでも、いつか別れの日はやってきます。
覚悟はしていましたけれど、12歳に近づくころから、だんだん足腰が弱りはじめました。
ただ、ランの体調が悪いのはわかっていても、高齢の父が入院している状況では、そちらを第一に考えざるを得ませんでした。
ずいぶん寂しい思いをさせたと思います。

私が「犬は犬、人は人」とかたくなに言い張るのは、そのときの辛い気持ちがあるからかもしれません。
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ランは最後の最後まで家族に迷惑をかけまいと、一所懸命、頑張りました。
そして、昨年8月。
もう長くはないと知っていたし、かわいそうだとは思っても、出張に出かける前、待っててね、と声をかけずにいられませんでした。
帰ったとき、力を振り絞って尻尾をふってくれました。
翌々日、亡くなる日の朝まで自力でトイレを済ませました。
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そして、もう十分、もう頑張らなくていいよ、と伝えたその日の午後、ばぁばに見送られ、じぃじのもとに旅立ちました。

ランの死後、「充分な世話もできない、最後も見送ってやれない飼い主」に、つぎの犬を飼う資格はない、と自分を戒めました。
けれど、2ヶ月と寂しさに耐えきれず、母の反対を押し切ってモモを迎えいれました。
ランと過ごした、なにものにもかえがたい12年と4か月が、新たな出会いを運んでくれました。
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モモを私たちのところに連れてきてくれてありがとう。
日々ヤンチャ記録を塗りかえながら、モモはいま、家族の愛情をいっぱい受けて、元気に成長しています。

そうそう、言い忘れてたけれど、虹の橋のたもとで待ってなくていいからね。
じぃじと二人、先に天国に行ってていいんだよ。いつか、そこに行けるよう、わたしたちも頑張るから。

heart heart heart heart heart heart

すみません……以前、ランの思い出として長々と綴ったにも関わらず、一周忌を迎え、またしても感傷に浸ってしまいました。
同じ繰言を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
明日からはまた、ハイパーヤンチャ娘モモの成長記録にもどります。よろしくねsign01

2007年1月 4日 (木)

先代ランの思い出その3(終章)

45g2tve9  父の死後も、ランは「ご飯ですよ」の札を咥えてよく母を呼びにいってくれました。そのときばかりは母も「ランちゃん、お使いしてくれたん!」と明るい声を出し、食欲がなくても居間に顔を出しました。ランがいなければ、母はずっと部屋に引きこもっていたかもしれません。優しい笑顔でずいぶんと母の寂しさを癒してくれました。
 7月末、私は一泊二日の社員旅行に出かけましたが、旅先から「ランは大丈夫?」とメールを送った記憶があります。おそらく、すでにかなり弱っていたのでしょう。
 8月初旬、朝六時ころ、主人に呼ばれて庭に出ていくと、散歩から帰ったランが倒れていました。途中で呼吸困難になったのですが、抱いてやろうとする主人の手を拒んで、必死で家までたどりついたのだそうです。舌は紫色に変色していました。少し落ちついてから主人と二人でバスタオルに載せて、家の中まで運びこみました。以降はほとんど餌を食べなくなり、水ばかり飲んでいました。散歩には行けなくなりましたが、玄関の扉を開けると、自力で庭に出てオシッコだけは済ませました。

Bv6fwo9b  8月10日から16日まで、私は仕事で家を留守にしました。帰宅したときにはランはちょっと尻尾を振るくらいで、もう顔は上げてくれませんでした。
 8月18日から20日まで、すぐにまた出張に出なければなりませんでした。
今度は明後日帰ってくるから待っててね
 そう言い残して出かけました。
 そして、ちゃんとランは待ってていてくれました。帰宅したとき、何日かぶりに顔を上げて尻尾をぶんぶん振って喜んでくれたのが忘れられません。
 その20日の晩と21日は、人の気配がなくなると寂しそうにクンクンと鳴きました。呼吸がだいぶん苦しかったのでしょう。「もう家族みんなそろったから安心してええよ」と声をかけ、なでてやると鳴きやみました。
 そして8月22日の朝、自力で立って庭でオシッコを済ませたあと、玄関のたたきに倒れこむように横たわりました。
 出勤前、「よう頑張ってくれたね。ありがとう。しんどかったら、もう(帰りを)待たんでええからね」と声をかけました。

3auhnfol  その日の昼休み、母に電話をすると、ランは自分で身体の向きを変えて水を飲んだ、と明るい声で報告してくれました。けれど、その直後、母から悲鳴のような声で電話がかかってきました。「もうあかんねん、ランが。ああ、どうしよ? もうあかんねん!」
 母の涙声を聞きながら、ただ「(辛い思いをさせて)ごめん。(看取ってくれて)ありがとう」を繰り返すしかありませんでした。
 帰宅したとき、ランの姿に思わず見とれました。それまで毛並みも汚れ、顔も苦しげだったのが、3歳も5歳も若返ったようにキレイな伏せの姿で眠っていました。母か主人が身体を拭いて、姿勢を整えておいてくれたのかと思いましたが、そうではありませんでした。それを見て、悲しいというより「楽になってよかったね。よう頑張ってくれたね」という思いばかりがこみあげました。(真夏なので保冷剤が山のように必要でした。足りなくなるかとちょっと焦りました)

Hb24n9pn  すでに夜の8時を過ぎていましたが、まるでランを自分の犬のように可愛がってくれたココママさん夫婦に旅立ったことを伝えました。すぐにお花を持ってお別れに駆けつけてくださいました。
 翌日、保健所が遺体を引き取りに来てくれることになりました。私は出張明けで仕事を休めませんが、まだ父の死から立ちなおっていない母一人に見送らせるのはあまりに酷です。姉に無理を言って引き取りのときだけ立ち会ってもらうことにしました。話を聞いた甥っ子までが仕事の昼休みに抜けだして、一緒に見送ってくれました。
 近所の男の子兄弟がお花とメッセージつきのボールを備えてくれました。
 古い知人から心のこもったお悔やみの手紙が届きました。
 ココママさんは最後にもう一度お別れに来てくれました。
ランはなんて幸せな犬だったんだろう」と、いまもその思いで胸がいっぱいです。

Mg7tmor6  主人は「ランは最後まであんまりに立派すぎて見事すぎて、悲しいという気持ちになれへん」と言いましたが、おそらく本音だろうと思います。私もランを思い出すたび、大好きだった父といっしょに軽やかに雲の上をお散歩する姿を思い浮かべます。得意げに自慢の尻尾を揺らしながら、父の顔を見上げて。父もランも思い通りにならない身体を捨てて、最高に幸せそうな笑顔です。

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おじいちゃん、ランが来てくれて良かったね!
ラン、おじいちゃんが待っててくれて良かったね!

 何度、心でそう呼びかけたかしれません。きれい事に聞こえるかもしれませんが、正直な気持ちです。

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 なかには不慮の事故や病気で、ペットを亡くされる方もいらっしゃるでしょう。その辛さ、やるせなさは察するにあまりあります。それを思えば、ゴールデンにしては12年という長い生命を最後まで見守れたのは、なんと幸せなことか。ただ、その幸運を感謝するばかりです。


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生前、ランを可愛がり、愛情をもって接してくださったすべての方に心からお礼を申し上げます。そして、いまこうして、ランの最後を私とともにもう一度、見届けてくださったすべての方に、心からありがとうを。
 長い繰言に最後までお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました。
 ランの思い出を胸に、モモとの楽しい暮らしがはじまりました。これからもよろしくお願いいたします。

先代ランの思い出その2(忍び寄る老い)

Izq27swe ランとのなごやかな日々に、ほんのわずか影がさしはじめたのは、10歳のころだったでしょうか。お散歩の途中、いつも同じ場所で耳を掻き掻きするようになりました。聞くと、主人や母との散歩でも同じことをしているみたいでした。おそらく、足腰が弱って歩きつづけられなくなったのを、耳が痒いふりをしてごまかしていたのでしょう。「そろそろお歳やねえ」と言いながら、笑い話で済んでいました。
 ところが、まだまだ元気と思っていた姉の家のボクサーがとつぜん亡くなりました。10歳になるかならない歳だったと思います。そう遠くない未来にランとの別れも来る、と覚悟を決めました。

Mu2eiqaa  その後、だんだん歯が抜けはじめ、匂いもきつくなりました。主人がまめにシャンプーしたり、拭いてやったりしていたのですが、たぶん後半は家中にランの匂いが充満していたと思います。
 それでもお散歩大好き、お腹も壊さず、寝ている時間は多くなったものの、いつも笑顔でお利口ぶりを発揮しつづけていました。
 そして一昨年(05年9月)、80歳になっていた父が入院しました。二ヶ月の入院の後、帰らぬ人となるのですが、同時に母の入院、手術が重なり、ランは朝8時から夜8時まで、ほとんど一人でお留守番することになります。おトイレは家族のだれかが帰るまで、ひたすら我慢していましたが、さすがに寝てばかりなので、ずいぶん足腰が弱りました

Ccbedefy  1年とあけず体験した父の死とランの死は、私にとって切り離せないものです。まだ父に意識のあるころ、私が病室に入ると、父は必ず「ランの散歩は?」と聞きました。「可愛そうやから、はよ帰ってやり」と父が言い、「いま来たとこやんか。そんな追いかえさんといて」と私が言い返す――お決まりのやりとりでした。

Q6b1l9oz 父は人に対しても犬に対しても、常に公平であろうとしていました。ましてや、ランは名目上は私たち夫婦の犬だったので、表立って感情を表すことはありませんでした。けれど、特別な愛着をいだいているのはランに接する態度からも明らかでした。
 いつもは知らない人が来たら、警戒して大きな声で吠えるランでしたが、父の通夜から葬儀まで一度も吠えませんでした。父が冷たくなって寝台車で家にもどってきたときでさえもです。匂いを嗅いだのか、なにを確認したのかはわかりませんが、一度だけそっとそばにより、顔を近づけていました。

Beyebxfa  さて年が開けて2006年、母がふたたび3月末から2ヶ月入院したため、ラン一人でお留守番の日々がつづき、散歩に出てもほとんど歩けなくなりました。わずか10メートルほど歩くのが精一杯でしたが、そのあいだにオシッコとウンチを済ませました(ウンチは最後まで健康なウンチでした)。
 けれど、5月初旬に一度、母が一時帰宅でもどってきたときから、また元気を取りもどしはじめました。昼間寝てばっかりだったのが衰えの原因だったと思いますが、父がいなくなり、母までいなくなるのか、と犬なりに不安に耐えていたのかもしれません。母が5月末に退院してからは、足どりは覚束ないものの、ほぼ以前と同じだけの距離を歩けるまでに回復しました。驚異の生命力ですね。

Q6b1l9oz  7月くらいからは玄関の段差を登れなくなり、ほとんどタイル敷きのたたきで寝そべって過ごすようになりました。お漏らししても大丈夫なようにトイレシートを敷いてやりましたが、自分からは絶対にしようとしませんでした。それでも夜中に漏れてしまったときなどは、ほんとうにキュンキュンと悲しそうな声で鳴きました。気持ち悪いのもあったでしょうが、気位の高い犬だったので粗相をした自分を許せない思いもあったでしょう。拭いてやろうにも寝返りを打たせるのが一苦労で、なかなか思いとおりに清潔にしてやることはできませんでした。夏なので助かりましたが、これが冬なら凍えないようにドライヤーで乾かしてやらないといけなかったでしょう。たぶん、ものすごく嫌がったと思います。
(今回掲載した写真はだいたい2歳〜4歳のころのものです。やっぱり最盛期だけあって写真がたくさん残っています)

2007年1月 3日 (水)

先代ランの思い出その1

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モモの前に、ランという1994年4月生まれのゴールデン(雌)を飼っていました。2006年8月、享年12歳で旅立ちました。気持ちの整理をつけるためにも、いつかはランの思い出をまとめたいと思っていました。長くなりますが、いつもの一人語りと思って聞き流していただければ幸いです。
(右はランの写真のなかで家族いちばんのお気に入りです)


1.最初にお断り
 我が家では両親の代、昭和20年代から犬を飼っていました。当時は犬といえば雑種で、名前のある犬といえば「スピッツ」くらい。たいていは野犬との雑種でしたが、白くて長毛の犬はなんでもかんでも「スピッツ」と呼ばれていました。どこの家でも犬は朝から晩まで庭に繋ぎっぱなし、餌は残飯――いまとはまったく事情が違います。
Ej6ztf2d けれど、我が家ではそのままの感覚で犬を飼いつづけています。かけるお金は最初のワクチンと狂犬病の注射、フィラリアのお薬、ペットフードだけ、犬のためにすることは毎日の散歩と餌だけです。よほど体調をくずして、痛がったり苦しがったりすれば獣医さんに見てもらうこともありますけれど。
 死ねば保健所に引き取ってもらいます。まるでゴミのような扱いと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでちょっと誤解を解いておきますと、そんなことは決してありません。最初に犬種と体重を確認し、大型犬だとわかると係りの方が二人で来てくださって、大切に引き取ってくださいます。モノではなく、ちゃんと生命あったものとして扱ってくださいますよ。

Ngtevvbf 亡骸をどのように葬るかはともかく、ゴールデンを飼っている以上、ものすごく大きなダンボールが必要なのはまちがいありません! 私も前もって忠告を受けていたので、リクライニング・チェアを購入したときの箱を残しておきました。主人は「それはいくらなんでも大きすぎるやろ!」と言いましたが、亡骸を納めてみるとぴったりでした……
 これから書くことは、あくまで私自身の考えたこと、感じたことです。真の愛犬家の方々には不快なことも多々あるかもしれませんが、それを覚悟の上でランとの思い出をいくつか語ってみたいと思います(写真をいっぱい載せたいんですが、あの頃はデジカメがなく、1枚1枚スキャンしないといけないので、じつはなかなかに面倒なのです)


2.思い出話のつもりが自慢話に……

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ランが我が家にやってきたのは1994年6月、月齢2ヶ月のころでした。ほぼなんの予告もなく、主人がとつぜん連れて帰ってきたのです。そのまんま「ぬいぐるみ」並みの愛くるしさでしたが、当時はもう一匹、柴系の雑種がいたために、父母からは猛反発を食らいました。共働きのため、実質、昼間は父母に面倒を見てもらわねばならず、幸先の悪いスタートとなりました。私自身、じつは長毛犬はあまり好きではなく、「ふ〜ん、ゴールデンかぁ、ほんとはラブラドールのほうがよかったんやけどなあ」といくぶん冷たい目で見ていたかもしれません。

Gab3kiam けれど、犬はヤンチャでバカなもの、と思っていた私たち家族の考えが一変するのに、時間はかかりませんでした。トイレの躾はほぼ月齢3ヶ月のころに終わり、以降、家のなかで粗相をしたことはありません(一度だけ、お腹を下して玄関で漏らしたことがありますが、これも夜に外に出してくれ、というランの頼みを私が無視してしまったせいです)。もちろん、生後一年くらいはヤンチャでした。壁紙をはがして壁に大きな穴を掘ったり、台所のピータイルをめきめきはがしたり、庭履きのゾウリを咥えて走ったりしてました(右の写真は台所の壁紙をはがした証拠写真)。けれど、「その程度のイタズラは気にならない」くらい利発さを発揮しはじめました。月齢4、5ヶ月になると「してはいけないイタズラ」を自分で勝手に判断できるようになり、庭に自由に放してやっても安心でした。最初は冷ややかだった両親も半年と経たないうちに溺愛しはじめたように記憶しています。当時、父はまだ70歳になるかならないかで、毎日テニスに出かけていましたが、しょっちゅうランをコートに連れていって、お利口ぶりを披露していました。

A4xemprx 水も大好きで夏は盥で水遊び、川に連れていくとおおはしゃぎで泳ぎました。
 お手、おすわり、伏せなどは一、二度教えるだけで覚えました。テーブルの上のものを取ったことは一度もありません。が、さすがレトリーバーというべきか、落ちてるものはなんでも拾いました。テーブルの端に載っている手袋をちょちょいと鼻で落として、「落ちてましたよ」と持ってきてくれるお茶目な一面もありました。
 荷物を運ぶのも大好きでした。すぐに飽きて、ぽいっと捨てることもありましたが、畑から葱や大根を運んでくるときは真剣でした。散歩のときは、人とすれちがいそうになるたび、慌てて「荷物持たせて!」とせがみます。「あらまあ、ランちゃん、お利口にお遣いしてるのね」と褒めてもらうのが嬉しくてたまらなかったのでしょう。

Bosvcf4t あと一つだけ可愛かった思い出を。両親は一階の和室で暮らしていたのですが、ランはこの部屋にはふだんは呼んでも入りませんでした。ただ大嫌いな雷が鳴ったときだけは、おそるおそる部屋に入って母親の膝に乗ろうとしたそうです(母親身長145センチ、ラン体重30キロ)。
 すでにランは9歳か10歳になっていたでしょうか、ある日ただの思いつきで「ご飯できたから、お父さんとお母さん呼んできて」と伝えたら、とことこと両親の部屋に入って呼びにいきました。そんなことは一度も教えた覚えはなく、これには飼い主のほうがびっくりしてしまいました。以降、"ご飯ですよ"の札をボール紙で作って咥えさせると、ちゃんと両親を呼びにいってくれるようになりました。

V8uhsfho 存命だった父が私たちの留守中にいろんなことを教えてくれたのも大きかったと思いますが、本当に人の言葉と気持ちをよく理解する知能の高い犬でした。ランにかぎらず、ゴールデンには本来そういう気質が備わっているのでしょうね。
病気一つしたことのないランでしたが、寄る年波には勝てず、10歳を超えるころには会う人ごとに「おばあさんになりましたね」と言われるようになりました。
その話は長くなるので、また近日中に。ただの犬バカの自慢話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。「うちの犬のほうがもっと賢いゾ」とおっしゃる方もたくさんいらっしゃるのは承知しています。そういうお話がありましたら、ぜひお聞かせくださいね!
(今日載せた写真は生後2ヵ月からだいたい1年半までのものです)